判例の詳細

東京地裁平成5年12月21日

上顎無歯顎症例の治療のため骨膜下インプラントによる治療を受けた結果、咀嚼能力が健常者の11%となる後遺障害を負った事故につき、骨膜下インプラントの選択及び施術上の過失があるとして歯科医師の責任を認めた事例

■結論:患者側請求一部認容
■請求原因:不法行為(民§709)

事案

原告は、歯が歯槽膿漏により動揺していたところ、被告医院において上顎残存歯すべてを抜歯し、ブレード・インプラントによる治療法を選択して治療を受けた。しかし、その後ブレード・インプラントの動揺のためブレード・インプラントを除去し、その1週間後に上顎に骨膜下インプラントによる治療を受けた。その後、骨膜下インプラントにも不具合が生じたため骨膜下インプラントを除去した結果、歯槽骨の著しい吸収により普通よりも大きな有床総義歯を使用することが必要となり、会話時に支障を来たすようになった。また、原告は、咬合時に上顎の疼痛を感じ、咀嚼能力が健常者の11%となる後遺障害を負った。

判旨

被告がブレード・インプラント除去後、性急に骨膜下インプラント治療へ着手した結果、インプラントは安定せず上顎骨骨炎に罹患し骨膜下インプラントも除去することが必要となった。その結果、歯槽骨の著しい吸収が起こったために原告の有床総義歯が不安定になり、原告の咀嚼能力は有床総義歯使用者の平均的な咀嚼能力の最下限をさらに下回る状態になった。被告は治療目的を達したと認めることはできない。

過失の有無

ブレード・インプラント除去後少なくとも六か月以上顎骨の安定を待って骨面印象を行う等、顎骨とインプラントフレームとが確実に密着する状態が期待し得る適切な時期に骨膜下インプラン卜施術に移行するよう、慎重な配慮をすべき注意義務があった。
原告からの前記危惧の念を抑えたうえで性急にこれを実施したとのそしりを免れず、その時期、方法、並びに結果に照らし、被告には、臨床歯科医師としての右の注意義務を尽くさなかった過失がある。

歯科医師コメント

現在では治療で用いられることはほとんどないブレード・インプラントと骨膜下インプラントによる治療の判例です。この判例ではブレード・インプラントがうまくいかず除去したあとの治療法として骨膜下インプラントを選択してしまったこと、しかもブレード・インプラントを除去してすぐに骨面印象を行ってしまったことが過失と認定されてしまいました。その結果、著しい歯槽骨吸収が起こり、義歯の安定性を得るのが難しくなってしまい、歯科医師側が敗訴しています。
実際に臨床を行っていると可撤性の義歯に難色を示す患者さんは多いですが、患者さんがいくら固定性の補綴物を強く希望されたとしても予後が悪い場合には、可逆的な治療から行うことが大切だと思いました。そして、予後の悪い治療法をやむを得ず選択する場合には、患者さんにリスクを十分に説明し、そのことを診療録にも詳細に記載する必要があると感じました。
また、後遺障害の認定の方法として、「健常者の咀嚼能率の11%となってしまっており、総義歯装着者の平均的な咀嚼能率(正常者の12~25%)の最下限をさらに下回っている」という判断の仕方がなされているのも興味深いです。このような判断で判決が出るのであれば、状態の悪い口腔内でもできるだけ咀嚼能率を発揮できるような義歯治療ができる技術を身につけることも大切だと思いました(限度はあると思いますが)。

弁護士コメント

ブレード・インプラントが用いられることが無い現時点においても、「顎骨とインプラントフレームとが確実に密着する状態が期待し得る適切な時期に骨膜下インプラン卜施術に移行するよう、慎重な配慮をすべき注意義務があった。」という点は、インプラント手術の前に口腔内状態を整える必要性があるという先例的価値がある判例です。
患者さんの中には、口腔内の状態が悪く、歯ぎしりがあるのにナイトガードをつけなかったり、喫煙したり、ドタキャンする方もいるでしょうが、そのような場合でも焦ってインプラント手術をするのではなく、治療に非協力的であることや、このままだと治療が出来ないことを告げたことをカルテに残すべきです。トラブルの多くがそのような患者さんに対して親切心で何とかしてあげたケースです。できること・できないことをプロとしてはっきりと伝え、治療はするが治療に協力しなければ治らないとはっきり伝える必要性があります。
また、本件では「原告からの前記危惧の念を抑えたうえで性急にこれを実施した」点が裁判所からは悪印象だったことも考えられます。患者さんが危惧感を示した内容については慎重に判断しつつ、適宜同意書を取ってリスクを受け入れたことを後に証明できる状態にすることが望ましいでしょう。

東京地裁平成6年3月30日

インプラント手術を歯科医師が実施し、患者に対して上顎洞穿孔及び慢性化膿性歯槽骨炎を生じさせたことについて、善管注意義務違反の債務不履行が認められた事例

■結論:患者側請求一部認容
■請求原因:診療契約上の債務不履行(民§415)

事案

原告は、被告である歯科医師からインプラント治療を受けた。数年後にそのインプラントの状態が悪化したためインプラントを除去し、再度インプラント治療を受けたが、その際上顎洞穿孔を生じた。その後被告は骨膜下インプラントを行うなどして上顎洞閉鎖を何度か試みたが治癒せず、最終的には他院での上顎洞閉鎖術を行った。また、原告はその後被告から他部位へスウェーデン製インプラントによる治療を受けたが、その後同部位に慢性化膿性歯槽骨炎を生じ、他の病院でインプラントを除去する手術を受けることを余儀なくされた。そこで、原告が被告歯科医師に対して、診療契約上の債務不履行に当たるとして損害賠償を請求。

判旨

不具合が生じたインプラントを被告が無断で除去したとの原告の主張については、原告の債務不履行の主張に理由がないとした。
被告には、上顎洞穿孔の発見が遅れたことにより、原告に対し不当に長期に排膿、疼痛、痺れ、咬合痛等の苦痛を与えたという点について、診療契約上の注意義務違反が認められるというべきである。また被告には、インプラント手術により上顎洞穿孔を生じさせたという点、上顎洞閉鎖のために骨膜下インプラントを選択・実施したという点について善管注意義務違反が認められる。
また、本件ではスウェーデン製インプラント手術の施術にミスがあったことを窺わせる証拠もなく、原告の顎骨の状態等がインプラントに適合しないものであった、あるいは従前の手術の結果すでに適合しないものとなっていたことに原因があったものと推認されるが、被告としては、長期間原告の治療に携わった者として、当然そのことを認識すべきであったと認められるから、右インプラント手術を行い、原告を慢性化膿性歯槽骨炎に罹らせた被告の行為は、診療契約における善管注意義務に違反する債務不履行にあたる。

【善管注意義務違反】
①上顎洞穿孔の原因の創出
インプラント手術によって上顎洞穿孔を生じさせたこと、あるいはそれが生じるような手術を行ったことは、特段の事情がない限り、歯科医師としての診療契約上の善管注意義務に違反する。
★特段の事情の有無の判断について
ⅰ)インプラントが成功しない可能性があると説明を受けていたことについては、原告の歯の状態から考えられる具体的な手術のリスクは説明していなかったため、上記の特段の事情にはあたらない
⇒善管注意義務に違反する。

ⅱ)手術後の負荷などによって、穴が空いたことについては、従前の診断から被告はその可能性に気づくことが可能であったため、上記特段の事情にはあたらない ⇒善管注意義務に違反する。

②上顎洞穿孔の発見が遅れたことについて
事前及び事後の診断から、上顎洞穿孔の可能性を予期することができ、然るべき措置を講じるべきであったため、被告には診療契約上の注意義務違反にあたる。

③上顎洞穿孔に対する処置
ⅰ)被告は上顎洞の閉鎖も兼ねて原告の同一部位へ3度目のインプラント手術(骨膜下インプラント)を行い、しかも骨膜下インプラントについては抜歯後に20ヶ月程度の経過観察もないままであって、抜歯後間もない口腔に行うのは禁忌とされているにもかかわらず、方法として骨膜下インプラント手術を選択・実施し、他の上顎洞の閉鎖術を選択・実施しなかったことは、善管注意義務違反にあたる。

ⅱ)被告が不完全な閉鎖手術を繰り返して、無益に時間を費やしたのではないかということについては、時間を無駄に費やした印象があり、しかも穴が大きいため大学病院への転医を勧めるべきであったとの疑問があるが、それが医師としての専門的裁量の範囲を逸脱するものかどうかを判断する的確な証拠がないので、善管注意義務に違反した債務不履行があったと断定することはできない。

④スウェーデン製インプラントの利用
上顎前歯に埋入した4本のインプラントが、埋入後1年半ほどで不具合を生じ、2年後に慢性化膿性歯槽骨炎のため抜去されたことにつき原告の顎骨の状態等がインプラントに適合しないものであった、あるいは従前の手術の結果すでに適合しないものとなっていたことに原因があったものと推認されるが、被告は、当然そのことを認識すべきであり、慢性化膿性歯槽骨炎に罹らせた被告の行為は診療契約における善管注意義務に違反する債務不履行にあたる。 本件インプラント手術は、原告の強い要望に基づくものであると認められるが、スウェーデン製を用いること自体は被告の推薦によるものであり、原告の要望の点は、被告の責任を否定する事情にならない。

歯科医師コメント

この判例では2つの治療について判断がなされています。
1つめの、インプラント上顎洞穿孔については、インプラントを穿孔させた事実と、インプラント除去後すぐに骨膜下インプラントを行ったこと、上顎洞穿孔の発見が遅れたことについて注意義務違反とされています。
インプラントの穿孔に関しては、歯科医師側からしても基本的には100%歯科医師に責任があるように感じますが、判旨を読むと、リスクの高い治療だということをすべて詳細に患者さんに説明し、そのリスクをすべて引き受けてでも患者さんが強く希望されたのであれば注意義務違反を否定する特段の事情になる可能性があるようです。患者さんへの説明がいかに大切かということがわかります。
そして、穿孔したインプラント除去後すぐに上顎洞閉鎖の目的で骨膜下インプラントを行ったことに関しては、上顎洞閉鎖の治療法としては甚だ疑問に思いますし、裁判所もそのような判断(注意義務違反にあたる)をしているので、ほとんどの歯科医師の先生と感覚は近いのではないかと思います。その後、被告歯科医師は上顎洞閉鎖術を試みますがうまくいかず、結局は大学病院にて閉鎖手術(口蓋粘膜弁形成手術)を受けて上顎洞はやっと閉鎖されました。自分の力量では治療が難しい場合、直ちに専門科へ紹介すべきですね。
また、この被告は、自分に不利益になると考えカルテを破棄したといういきさつがあるようで、その点も歯科医師側に不利に判断されてしまっています。診療においてミスをしてしまっても、隠したりせず、真摯にリカバリーに全力を尽くすことが1番の解決への道だと思いました。
2つめの、上顎前歯へのインプラント治療については、上顎2-2インプラント支台オーバーデンチャー(連結装置はバータイプ)治療について、義歯セットしてから1年半ほどで支台のインプラントを除去しなければならなくなってしまったことについて注意義務に違反し債務不履行にあたると判断されています。その理由としては、1978年のNIHハーバード会議で採択された基準によれば、インプラントが有効かつ成功とみなされるためには、5年以上安定に機能しており、インプラントに起因する病的徴候や感染のないことが基準の一つとなっているということと、その10年後のアメリカ国立衛生研究所主催の公聴会では、最低10年は機能することが望ましいとされたからということです。個人的な意見としては、これは厳しい判断なのではないかと感じました。たしかに元々インプラントが難しい顎骨の状態でありそれを診断できなかったもしくは強行に治療を進めたという可能性もありますが、上顎骨は下顎骨に比べてインプラントが生着しない確率が高いことは知られていますし、それ以外にも喫煙や、患者自身の手入れの問題、歯科医院で定期的な経過観察を受けたかなど、他にもインプラントが早期脱落する原因はあると考えられますし、今回の判例ではその点についての検討が不十分なのではないかと思いました。

弁護士のコメント

上顎穿孔に関する裁判所の判断の解釈は、「通常上顎穿孔を起こさない注意義務が存在するので起きてしまったら原則過失にするけど、特段の事情がある場合は過失がないことにする可能性もあります」という意味です。
よって、「特段の事情」がどのような場合に認められるかの検討が必要ですが、単に術前に成功しない可能性があると説明したのみでは「特段の事情」に該当しないと判断されています。現時点において「特段の事情」と確実に認められるためには、まず補綴等の検討も行って、インプラントとのメリット・デメリットの比較を患者さんに説明し、CTの撮影、口腔内状態の評価、インプラント予後の見通しを告げたうえで、患者がそれでも希望したということを書面に残さないと訴訟において過失や説明義務違反と判断されるリスクがあると考えられます。
歯科医師の方が指摘いただいた判例の検討不十分な点は同感です。特に歯科領域においては、歯磨き、喫煙、歯ぎしりなどによって治療結果が大きく左右されることが大きく、患者さんの、このことへの無理解が訴訟に発展した理由と考えられる事例も多いです。また、無理解の理由も、歯科医師の方が優しくて伝えづらいことを伝えられなかったからという事例も多いです。
歯科医師としては、患者さんに嫌われる可能性のある厳しいことも専門家として厳しく指導し、そのことをカルテに残しておく必要があることを意識することが身を守ることにつながると考えます。

名古屋地裁平成15年7月11日

下顎の歯についてインプラント植立手術を受けた患者に下唇知覚麻痺の後遺障害が残った場合、下顎管に接近した位置にインプラントを打ち込んだ医師に過失があるとして、同医師の不法行為による損害賠償責任が認められた事例

■結論:患者側請求一部認容
■請求原因:診療契約上の債務不履行(民§415)、不法行為(民§709)

事案

被告の執刀によりインプラント植立手術を受けた原告が被告に対し、上記手術の際の手技上のミスによって左側下唇及びオトガイに麻痺感が残存する後遺障害を負ったと主張し、診療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任に基づき、治療費や慰謝料等を請求。

判旨

被告は、本件インプラント手術の際、下顎管を穿孔、圧迫しないよう慎重に切削を進め、原告が痛みを訴えた際には不十分な麻酔効果によるものか、切削が下顎管近くに及んだことの徴表なのかをX線撮影を行って確認し、下顎管内を圧迫しない位置にインプラントを挿入すべき注意義務があったにも関わらず、これに違反し、下顎管付近まで切削し、原告からの痛みの訴えに対してもX線撮影による確認作業を行うことなく漫然と追加麻酔を施して手術を続行し、下顎管に接近した位置にインプラントを打ち込んで下顎管内の圧迫による下歯槽神経麻痺を招来し、知覚麻痺を出現させたものと認められ、この点に過失があるというべきである。

【一般的注意義務について】
インプラント挿入後に出現する神経麻痺は、ほとんどが下顎管中の下歯槽神経又はオトガイ神経の障害に起因するものである。
そのため、術前にはX線撮影を行ってオトガイ孔の位置や下顎管までの距離を測定し、慎重に切削を進めると共に、最終的に固定する前の段階においてインプラントを挿入した状態で当該部位のX線撮影を行い、下顎管やオトガイ孔との距離を確認する必要がある。
また、インプラント挿入にあたり下顎管付近まで操作が及んだ場合、患者は強い痛みを訴えると言われており、かかる場合、不十分な麻酔効果に起因するものか、操作が下顎管に接近したことを示す徴候かを鑑別する必要がある。

【過失の有無について】
①被告は、原告が特に再手術であったのであるから、上記一般的注意義務を果たした上で、下顎管内を圧迫しない位置にインプラントを挿入すべき注意義務があったにも関わらず、下顎管付近まで切削し、原告からの痛みの訴えに対してもX線撮影による確認作業を行うことなく漫然と追加麻酔を施して手術を続行し、下顎管に接近した位置にインプラントを打ち込んで下顎管内の圧迫による下歯槽神経麻痺を招来し、知覚麻痺を出現させたものと認められ、この点に過失がある。
②被告が手術後、速やかにインプラントを上方に移動させる措置を取らなかったとの主張については、本件で用いられたブレード・ベント・インプラントは、そもそも固定後の移動による微調整が不可能なタイプなのであるから、上方へ移動させなかったことが過失にあたるとはいえない。

歯科医師コメント

この判例はインプラントの訴訟で多くみられる下歯槽神経損傷による麻痺に対する訴訟です。下歯槽神経を損傷させてしまい麻痺が出現した場合には、それは歯科医師の過失だよな、と思う歯科医師の先生が多いのではないでしょうか。この過失は誰にでも起こりうると思うので、神経を損傷しないように施術するのは当たり前ですが、術前の十分なリスクの説明、患者さんとの信頼関係の構築という基本的なことがやはり大切だと感じます。
この裁判において、個人的によくわからないなと思ったのが、「被告は、本件手術の際、特に再手術であったのであるから、~~~注意義務があった」という部分です。再手術だから特に注意しなければならないということは、1回目の手術ではもう少し注意の程度が低くてもよいとも読めます。おそらく1回目の手術ですでに骨溝の形成が行われており、そこから再度切削を行うからより気を付けるべきということだとは思うのですが、臨床家としてはどちらも同様の注意力が必要なのではと感じるので、この言い回しは引っかかるものがありました。

弁護士コメント

歯科医師の方が「1回目は注意義務が低いように読める」とコメントされている部分については、裁判所は、結論が変わらない場合には2回目について述べた部分の注意義務の程度を補強するためにこのような言い回しをすることがあります。ただ、確かに理屈上は裁判所が言い過ぎである部分ともいえるでしょう。
このような歯科医師の方のコメントをいただくと、いかに単に判例を読んだだけでは臨床歯科医師の方が今後何にどの程度注意したらよいかは判断が難しいということがよくわかりますね。

東京地裁平成19年1月29日

被告歯科医師が行ったインプラント治療(歯が欠損した部分に人工歯根を埋入し、その歯根を土台として歯幹部を維持する義歯治療法)に関し、①被告が行った一連の施術は、原告に対する暴行、傷害及び強要に当たらない、②被告が治療の際に原告の口腔内から摘出したインプラントを返還しなかったことは、原告に対する窃盗又は横領に当たらないとされた事例

■結論:患者側請求棄却
■請求原因:不法行為(民§709)

事案

原告X1が被告Y1から受けたインプラント治療(歯が欠損した部分に人工歯根を埋入し、その歯根を土台として歯幹部を維持する義歯治療法)に関し、①被告Y1が行った一連の施術は、原告X1に対する暴行、傷害及び強要に当たる、②被告Y1が治療の際に原告X1の口腔内から摘出したインプラントを返還しなかったことは、原告X1に対する窃盗又は横領に当たる等として、 不法行為に基づき、慰謝料を請求した事案

判旨

被告歯科医師が行った一連の施術は原告に対する暴行、傷害及び強要にあたる、被告歯科医師が治療の際に摘出したインプラントを返還しなかったことは原告に対する窃盗又は横領に当たる、と主張して、歯科医師らに対し不法行為に基づき慰謝料を請求したが同主張が全て排斥され、請求が棄却された。

【①本件施術が原告X1に対する暴行、傷害及び強要に当たるか否か】
原告X1は、本件インプラント埋入術に先立ち、被告医院の歯科衛生士から、インプラント治療についての詳細な説明を受け、原告X1と被告Y1との間で診療契約が締結された上で本件インプラント埋入術が実施されたことが認められるから、本件インプラント埋入術を行ったことが、原告X1に対する暴行、傷害及び強要に当たるとは認められないというべきである。
また、被告がインプラント埋入部位の抜糸を失念していたことについては、被告Y1が、これに気付くと直ぐに原告X1に連絡し、予定日の2日後には抜糸を実施していることに照らせば、このことが原告X1に対する暴行、傷害及び強要に当たるとはいえない。

【②口腔内から摘出したインプラントを返還しなかったことが、窃盗又は横領に当たるか否か】
被告Y1が原告X1の口腔内から摘出したインプラントを返還しなかったことについて、被告医院においては、患者の口腔内から除去したインプラントについては、患者から要求があれば返還する取扱いとなっていたところ、被告Y1は、本件インプラント埋入術終了後、原告X1からインプラントの返還を要求されなかったため、これをナイロン袋に入れて、原告X1のカルテのファイルの背表紙に貼り付けて保管しておいた。そして、インプラントが、口腔内に埋入されて初めて機能を発揮するものであることに照らせば、請求がない限り、被告医院において保管しておく取扱いが不合理なものとはいえず、窃盗又は横領に当たるとはいえない。

歯科医師コメント

この判例をみて感じたのは、訴訟を起こされた原因のひとつはインフォームドコンセントが不十分だったのだろうなということです。原告(患者)の「治療とはいえない荒々しい行為だった」、「いい加減な行為を治療と称して行い続け、抜糸を忘れたり、原告の拒絶にもかかわらず、縫合の必要などない口内の頬を縫合するなどした。」という主張からもそのことが伺えます。重ね重ねになりますが、説明と同意、信頼関係の構築が大切です。
また、興味深かったのは、患者さんの口腔内から除去したインプラントを返還せずカルテに貼り付けていたことが、インプラントの窃盗または横領にあたるかということが検討されていたことです。除去した修復物や補綴物を患者さんに返すことはほとんどありませんし、そのことを患者さんに確認しないことも私はありましたので、これが窃盗や横領にあたる余地があるのかと驚きました。この判例を読む限りでは、患者さんが「返してほしい」と求めたにもかかわらず返還しなかったというような場合には窃盗や横領に当たるかもしれないという認識でよいかと思います。

弁護士コメント

この判例は前訴の実質的な蒸し返しのようですし、窃盗や横領、そして代金請求が強要と述べている点を見ても、原告と被告との間にミスコミュニケーションがあり、よほど恨まれていたんだろうなという印象がある判例です。
医事紛争の原因の大部分にミスコミュニケーションが存在すること、そして治療の当事者以外の方とミスコミュニケーションが発生しそれが感情的な対立にまで至ると、原告と被告との間で、立場の違いはあれど、紛争を解決する方向ではなく、紛争を続ける方向で動き出してしまう場合があることを示唆する事例です。

東京地裁平成19年7月26日

担当医のドリリングにおける注意義務違反を認定しつつも、上顎洞炎はインプラント術よりも隣在歯の歯周炎に由来したものであり、手技ミスとは因果関係がないとした事例

■結論:患者側の請求棄却
■請求原因:診療契約の債務不履行(民§415)又は不法行為(民§709)

事案

患者である原告が、インプラント手術を受ける際、被告医師の手技上の過失により、術後、上顎洞炎を発症し、また、咀嚼に支障が生じるなどの障害を負ったと主張して、被告らに対し、診療契約の債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を請求した事案。

判旨

原告が主張するインプラント体を洞粘膜に貫通させることにより、易感染症状態にさせた過失(①)については、認められない。また、原告が予備的に主張するインプラント体を上顎骨に貫通させ、洞粘膜と接触させた過失(②)は認められるが、当該過失と上顎洞炎の発症及び咀嚼機能の低下との間に因果関係は認められない。

過失の有無

①インプラント体を洞粘膜に貫通させた過失についての判断
インプラント体を洞粘膜に貫通させないようにする注意義務の存否の判断はなされておらず、証拠等から本件インプラント術において、インプラント体が洞粘膜を貫通したと認めることが出来ない。

②インプラント体を上顎骨に貫通させた過失についての判断
本件において、証拠等からすると、インプラント体が上顎骨を貫通していたと認めるのが相当である。
そして、ドリルで上顎骨を貫通すると、洞粘膜にまで穴をあける危険性が高まり、さらに上顎骨ギリギリまでドリリングすると上顎洞穿孔という偶発症が発生する危険性が高まるため、医師には、インプラント体を上顎骨に貫通させないように、骨を残してドリリングすべき注意義務があったと言える。
しかし、本件において被告は、上顎骨を貫通させているので、上顎骨を残してドリリングすべき手技上の注意義務に違反した過失が認められる。

歯科医師コメント

この判例では右上6番に埋入したインプラントが原因で上顎洞炎が起こったのかどうか、インプラントは上顎洞粘膜まで貫通していたのかということが争点となっています。結果は、インプラントは洞粘膜までは貫通しておらず、上顎洞炎の原因は右上7番の根尖性歯周炎であったと結論付けられており、原告(患者さん)の請求は棄却されました。
しかし、判例において被告(歯科医師)がインプラントを上顎洞粘膜までは貫通させなかったものの、上顎骨は貫通させてしまったことについては注意義務に違反した過失が認められるとされています。実際、インプラントを理想の位置へ埋入できていれば上顎洞炎の原因は右上7番だとすぐに診断がついたでしょうし、このような訴訟を起こされることもなかったでしょう。

弁護士コメント

インプラントに限らず上顎洞炎を巡るトラブルにおいては、上顎洞炎の原因となる穿孔が生じていたか、その穿孔と上顎洞炎との因果関係が問題となります。
そして、本件のように、上顎洞炎が生じた時期や歯周病の状況などによっては、上顎洞穿孔と上顎洞炎との因果関係が認められない場合もあります。
そもそも上顎洞炎は歯性よりも鼻性の方が多いとのデータもありますので、歯科医師の方が治療中に患者さんが上顎洞炎となったとしても、早計に自らの身の原因と判断するのではなく、他の可能性を排除することが出来るかという検討を行うべきと言えます。

東京地裁平成20年12月24日

歯科医師によるインプラント手術の説明義務違反並びにドリリング及びインプラント体の埋入に際して注意義務を怠ったとして過失を認めた事例

■結論:患者側の請求一部認容
■請求原因:診療契約の債務不履行(民§415)

事案

被告が開設する歯科医院において、インプラント手術を受けたところ、同歯科医院の説明義務違反、手術前にCTを撮影せず、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに手術を行った過失又は手技上の過失によって左下歯槽神経を損傷され、神経麻痺による左下口唇、左オトガイ部の知覚異常及びアロディニアの後遺障害が残ったとして、被告に対し、診療契約の不履行に基づき損害賠償を求めた事案。

判旨

被告医師には、まず、治療をする際に説明を怠った説明義務違反(①)が認められるが、当該義務違反と後遺障害等との因果関係は認められない。また、長さ18mmのインプラント体を使用したことについて過失はないが、ドリリング及びインプラント体埋入の際の角度不足に過失(②)があったことが認められ、且つ障害等との因果関係も認められる。他方、手術前にCTを撮影せずに手術を行ったことについては、本件手術に先立ち、パノラマレントゲン写真及びデンタルX線写真を撮影し、パノラマレントゲン写真上にメジャーテープを当てて、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を測定し、骨の幅について、触診や口腔内所見(肉眼)により確認したことから、注意義務違反は認められない(③)。

【①被告医師の説明義務違反の有無】
インプラント体を埋入する本件のような手術においては、インプラント体等により、神経を損傷し、知覚障害等が生じる危険性があるため、医師には、当該危険性等につき事前に説明する義務がある。したがって、本件被告医師にも、原告の口腔内の状態、本件手術による神経損傷の危険性及び予後等について、原告が十分な情報に基づいて本件手術を受けるか否かを決定できるよう、相当程度詳細に説明すべき義務がある。
しかし、被告はインプラント手術が考えられること及び、インプラントの利点を説明し、インプラント手術に伴うリスクとして、出血、痛み及び腫れが生じる可能性について説明したのみで、神経損傷や神経麻痺が生じる可能性があることなどについては説明しなかった。 よって、被告(B歯科医師)には、説明義務違反があった。

【②本件手術における技術的なミスにより下歯槽神経を損傷した注意義務違反の有無】
ア.通常よりも長い18mmのインプラント体を用いた点についての注意義務違反
インプラント体埋入の際には、オトガイ孔の位置に注意し、それを損傷しないように、オトガイ孔に達しない長さのインプラント体を使用する注意義務がある。
確かに、本件において、被告は、通常よりも長い18mmのインプラント体を使用しているが、治療する歯の位置から当該インプラント体を斜めに挿入して、オトガイ孔を避ける方法が最善の方法であり、当該長さのインプラント体を使用したこと自体が注意義務違反とはいえない。
イ.十分な角度をつけてインプラント体を埋入することについての注意義務違反
本件において、被告は18mmという長めのインプラント体を使用することにしているので、被告には、オトガイ孔付近の下歯槽神経を損傷しないように十分な角度をつけて、ドリリング及びインプラント体埋入を行うべき注意義務があった。
しかし、被告は、本件において、上記インプラント体を埋入するに当たり、当該注意義務を怠り、十分な角度をつけてドリリング及びインプラント体の埋入を行わなかったため、ドリリングあるいはインプラント体によりオトガイ孔付近の下歯槽神経を圧迫し、同神経を損傷している。よって、被告には、注意義務違反が認められる。

③手術前にCTを撮影せず、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに本件手術を行った過失の有無
医師には、インプラント体がオトガイ神経を損傷しないようにするため、オトガイ孔までの距離を正確に把握する注意義務がある。
本件において被告は、インプラント手術前にCTを撮影していない。しかし、被告は、パノラマレントゲン写真を撮影した上で、写真上にメジャーテープをあてて、距離を測定しており、距離を正確に把握する注意義務は果たしている。よって、被告に当該注意義務違反は認められない。

歯科医師コメント

判例で興味深かったのは、インプラント埋入にあたり、必ずCT撮影をしなくとも、パノラマレントゲン上でメジャーテープを用いて距離を測定すればよいとの判断です。個人的な意見としては、パノラマレントゲンは2次元画像なので、インプラント埋入のための検査としては3次元画像であるCT撮影が必須であろうと思いますし、将来的にはそのような判例も出てくるのではないかと思っています。
また、この判例においても被告(歯科医師)の説明義務違反が認められています。具体的には、「インプラント手術に伴うリスクとして、外科的手術に伴う出血、痛み及び腫れが生じる可能性があることについては説明したが、神経損傷や神経麻痺が生じる可能性があることなどについては説明しなかった。」との部分が説明義務違反にあたるとのことです。臨床の場面においては、ここまでの内容を説明するだけでなく同意書にも組み込み、診療録にも記載するぐらいまでしておくと安心ではないでしょうか。

弁護士コメント

この記事を記載している現時点においては、インプラント手術時にCT撮影が必須とはいえませんが、今後そのような判断が出る可能性は高いといえます。
現時点においては、少なくともこの判例のようにパノラマレントゲンを撮影したうえでメジャーテープでの測定を行いつつも、パノラマレントゲンの画像から神経を傷つける危険性を感じたらCT撮影を念のため外注するという対応も検討に値すると考えられます。

 

*インプラントではありませんが、根管治療で参考になると考え、載せました。

東京地裁平成20年4月25日

歯科医師が行った歯列矯正等の治療において、抜髄となったものの、抜髄となった過失、抜髄の危険性の説明を怠った過失、根管充填処置を十分に行わなかった過失等は認められなかった事例

■結論:患者側の請求棄却
■請求原因:不法行為(民§709)

事案

被告の開設する歯科医院において、補綴処置による歯列矯正等の治療を受けていた原告が、被告には、歯を過剰に削り抜髄を余儀なくした過失、抜髄の危険性等について説明を怠った過失、根管充填処置を十分に行わなかった過失があるなどとして、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めた事案。

判旨

被告医院の歯科診療録の一部には事実と異なる記載が認められるが、診療経過については信用性が肯定され、また原告が現在通院している歯科医院の歯科診療録の記載も信用できるとされた上で、被告には上記いずれの過失も認められず、また原告主張の診療費の支払が認められない上、領収書不交付の合意が認められるとして、原告の請求が全て棄却。

争点に対する判断

(1)右下3番、4番の歯の治療に際しての過失
ア.歯を過剰に削り抜随を余儀なくした過失の有無
歯髄炎の原因は様々なものがあるとされているから、被告の歯牙切削後に原告に歯髄炎が発症し抜髄せざるを得なくなったとしても、その間に因果関係は認められない。
仮に因果関係が認められるとしても、当然に被告に過失が認められるものではない。(判旨において、注意義務の内容、その有無等の判断はなされておらず、過失の内容も不明)
イ.治療に際しての説明義務違反
歯科医師には、歯の治療が身体への侵襲行為を伴う場合には、危険性が高いため一般的に事前に治療についての説明をする義務がある。特に、本件のような審美歯科治療に関しては、一般的に緊急性・必要性が低いものであるため、患者が治療を受けるか否かを選択できるに十分な説明を行う義務がある。したがって、本件被告には治療内容、利害得失につき説明すべき義務がある。
本件において、原告の本人尋問における供述内容は不自然であり、客観的事実と符合していない。また、原告は抜髄後も被告歯科医院で新たな治療を継続していたことや被告歯科医院を原告の知人に紹介していた事実などに照らすと、被告を歯科医師として信頼していたことが窺われる。
以上の事実等により、被告は原告に対して、歯科治療に先立って、当該治療の内容及びこれに伴う危険性等に関する必要な説明はしていたと認められるため説明義務違反は認められない。(ただし、この部分は、そもそも治療と抜髄との因果関係が認められない以上、当該治療についての説明義務違反とも因果関係はないとした上での傍論)。
ウ.歯根膜炎の原因と根管充填についての過失の有無
根管充填が不十分であると歯根膜炎となる可能性があるので、根管充填に際しては、死腔が残ることのないよう緊密に封鎖する必要がある。
本件において、被告の装着したガッターパーチャーと歯の内壁との間に死腔が存在したためにそこから細菌感染が起こった結果歯根膜炎が生じた可能性が高い。
一般に、根管充填直後にガッターパーチャーが容易に抜けるような状態にあったのであれば、被告による根管充填処置に過失があるものと推認できる。
しかし、本件においては、原告の歯根膜炎が発症したのが、被告による根管充填から5年以上経過した後であること、根管充填後のレントゲン写真によればガッターパーチャーは緊密な充填がされていたと判断できること、根管内の緊密封鎖は技術的に難しく、再治療が必要となる事態を完全に回避することは困難であり、歯根膜炎は根管治療に伴うやむを得ない合併症の一つであること、治療後数年が経過した後に症状が出たような場合にはその原因を特定することは極めて困難であること等諸般の事情を考慮し、被告の根管充填処置に過失があったと認定することはできない。
エ.歯根膜炎の治療を怠った過失の有無
そもそも、レントゲン写真では、被告に原告の歯根膜炎の発症を疑わせるに十分な所見があったとは認められず、他に歯根膜炎が発症していたと認めるべき証拠はない。
仮に、被告がレントゲン等から歯根膜炎の発症を疑うことが可能であったとしても、歯根膜炎の治療は自覚症状が出てから経過を見ながら行うのが通常であるため、自覚症状が見られなかった段階において被告に適切な治療を行う注意義務はない。
(2)右上1番、2番、左上1番の歯の治療に際しての過失
ア.歯を過剰に削り抜髄を余儀なくした過失の有無
たしかに、原告は、被告の行ったラミネートベニア治療後に、歯髄炎を発症し、抜髄を余儀なくされている。
しかし、歯列矯正を目的とする以上、歯牙を相当程度切削する必要があることは明らかであり、特に前歯は象牙質が薄いことから、ラミネートベニア装着のための歯牙の切削により、歯髄や神経が露出することは当然想定されていたといえる。また、歯髄炎の原因が被告による歯牙の過剰な切削による可能性は否定できないものの、原告の歯ぎしりや不正歯列・不正咬合・噛みしめの影響である可能性も否定できない。これら諸般の事情に照らすと、原告が歯髄炎を発症したことをもって被告に過剰切削があったとは認められない。仮に、被告が治療の際に、過剰に切削していたとしても、諸般の事情に照らせば被告に当然に過失が認められることにはならない。
イ.治療に際しての説明義務違反
被告は、原告に対し、ラミネートベニアの術後に相当痛い思いをする可能性があること、さらにはダメージ回避のために抜髄等の神経治療が必要となる可能性につき説明しており、十分に説明義務を果たしている。なお、前歯を切削した上でラミネート治療を行う場合に、切削の方法・程度によっては露髄することがあり、露髄した歯牙が歯髄炎となって抜髄せざるをえなくなる危険があることについては容易に想像しうるので、そこまでの詳細な説明義務はない。したがって、説明義務違反は認められない。(説明義務の存在については当然の前提とされており、存否についてはあえて判断されていない。)
(3)左下5番のセラミックス歯冠形成処理についての過失
たしかに、平成15年4月8日に、被告が原告の歯にセットしたセラミックス歯冠が約6か月後の平成15年10月21日に破損している。
しかし、セラミックス歯冠は硬さは十分であるが、破壊靭性値が高くはなく、脆性なものであること、原告には歯ぎしりや強度の噛みしめ等があったなどの諸般の事情に照らすと、当然に被告のセラミックス歯冠形成処理に過失があったとはいえない。(判旨において、注意義務の内容は明らかにされていないが、セラミックス処理を適切に行う注意義務の存在を当然の前提とした上で、その義務違反は認められないと認定していると思われる。)

歯科医師コメント

近年、歯並びの不正を従来の矯正治療ではなく補綴物で解消しようとする治療が増えてきているように感じます。「セラミック矯正」などという名称でSNSなどでも見かけることが増えました。
この判例の症例もまさにそのひとつです。上顎前歯の叢生をラミネートベニアによって解消しようとし、その結果歯髄炎を引き起こし抜髄となりました。通常のラミネートベニアでは歯質の切削量はエナメル質内にとどめるので少ないですが、歯列矯正を目的とする場合、切削量は増やさざるをえないことも多く、抜髄となることが少なからずあります。
今回の判例では、術後に痛い思いをするかもという漠然とした説明で十分であるとの判断で、露髄し抜髄の可能性があるとまでの詳細な説明義務はないとされています。個人的な意見としては、このような症例の場合、患者さんはただ見た目を綺麗にしたいという考えで治療を求め、抜髄などのリスクについてはまったく理解できていないことが多いので、トラブルになりやすい治療であり、そのためこのような治療では通常の治療以上にリスクを詳細に患者さんに説明し、患者さんが理解し同意するということが重要だと思います。こうすることでトラブルが訴訟にまで発展してしまうことを避けられる可能性が高まりますし、訴訟になった際にも自分を守ることができるのではないでしょうか。
根管充填については、死腔が残らないように緊密な封鎖する注意義務があるが、治療後5年以上経過したのちの根尖病巣については被告(歯科医師)の根管充填に過失があったとは認められないという判断でしたので、こちらに関しては多くの歯科医師の先生と感覚は近いのではないかと思います。

弁護士コメント

判例が歯髄炎について歯科医師の過失を否定した理由は、①診療録等から被告が削りすぎたとの事実認定が出来ない、②仮に削りすぎたとしても他にも歯髄炎の原因は存在するので因果関係が不明、というものを直接の理由として記載しています。この部分だけを引用すると歯科医師にとっては有利ではあるものの、やや認定が雑な印象を受けますが、裁判所は事実認定の中で、③そもそも右下3番は歯髄炎にり患していたこと、④原告に歯ぎしりや強くかみしめる癖があったことを認定しており(原告と被告歯科医師とはスポーツジムで知り合っています)、これらの事実認定も含めると、歯髄炎の原因が歯科医師の治療によるものであると因果関係を認めることが出来ないと判断したのだと考えられます。
根管充填に関する理解は歯科医師の方と同様です。
臨床歯科医師としては、患者の悪癖についてカルテや同意書に残しておくことが身を守ることにつながるという教訓を与えてくれる判例です。